犬童一心さんのインスタグラム写真 - (犬童一心Instagram)「70年代初頭、「ばるぼら」の描かれた時代、手塚治虫は青年誌に大人向けの物語を随分と描いていた。少年誌と手塚治虫は少し距離ができていた。戦後、ずっと走っていた天才が、もしかしたら、立ち止まっていた短い隙間に生まれたのが「ばるぼら」のような気がする。  ばるぼらという都会に漂う女性(当時、私にとってずっと年上のお姉さんだった)は、自由への憧れ、繊細さ故の生々しい疵を感じさせ、痛みとともに存在した。  「都会が何千万という人間をのみこんで消化し、垂れ流した排泄物のような女」。  ばるぼらという女性は、時代が鼻先の人参のような「未来」へ邁進していくとき、目をつぶって通り過ぎたものの象徴だった気がする。それは、70年代初頭にリアルな、少ない説明で共感できるキャラクターだった。  ばるぼらは、その後お茶の水女子大漫研の同人誌の名前になった。同人誌「ばるぼら」の女子大のお姉さんたちも70年初頭の風を感じて描いていたのか。その中には、後の柴門ふみもいた。  マリリンモンローや、ティファニーで朝食をのホリーゴライトリーとともに、ばるぼらは忘れられないミューズとして私の中にいる。 60年代後半には立ち止まった人もすでに走り出していたその時、ふとばるぼらに目がいく主人公の美倉は、優しさに満ちている。 ばるぼらに囚われ、自滅していくとわかりながら、ばるぼらの持つ小さな輝き、希望に耽溺していく美倉は、その時代中学生でも心情的に共感できた。ドラマなら、傷だらけの天使の頃か。   巨大な産業と化していく漫画世界、手塚治虫という巨匠の漫画に向き合う真摯な魂が描かせたとても個人的な作品なのかもしれない。ばるぼらと重なって、ブラックジャックを描きだした手塚治虫は、再び少年誌のスターへ返り咲いていく。  懐かしい。  手塚治虫が「ばるぼら」を描いていた時代。 逡巡と停滞に心情が宿るあの頃。  映画は、その懐かしさをしっかり纏っていた。 稲垣吾郎の声は強い説得力で美倉だった。 映画のことを誰かに話そうとすると、二階堂ふみの、ばるぼらそのものの声が聞こえ、ばるぼらと、その時代を思い出し、胸がつかえる。」12月8日 20時22分 - isshininudo

犬童一心のインスタグラム(isshininudo) - 12月8日 20時22分


70年代初頭、「ばるぼら」の描かれた時代、手塚治虫は青年誌に大人向けの物語を随分と描いていた。少年誌と手塚治虫は少し距離ができていた。戦後、ずっと走っていた天才が、もしかしたら、立ち止まっていた短い隙間に生まれたのが「ばるぼら」のような気がする。

ばるぼらという都会に漂う女性(当時、私にとってずっと年上のお姉さんだった)は、自由への憧れ、繊細さ故の生々しい疵を感じさせ、痛みとともに存在した。

「都会が何千万という人間をのみこんで消化し、垂れ流した排泄物のような女」。

ばるぼらという女性は、時代が鼻先の人参のような「未来」へ邁進していくとき、目をつぶって通り過ぎたものの象徴だった気がする。それは、70年代初頭にリアルな、少ない説明で共感できるキャラクターだった。

ばるぼらは、その後お茶の水女子大漫研の同人誌の名前になった。同人誌「ばるぼら」の女子大のお姉さんたちも70年初頭の風を感じて描いていたのか。その中には、後の柴門ふみもいた。

マリリンモンローや、ティファニーで朝食をのホリーゴライトリーとともに、ばるぼらは忘れられないミューズとして私の中にいる。
60年代後半には立ち止まった人もすでに走り出していたその時、ふとばるぼらに目がいく主人公の美倉は、優しさに満ちている。
ばるぼらに囚われ、自滅していくとわかりながら、ばるぼらの持つ小さな輝き、希望に耽溺していく美倉は、その時代中学生でも心情的に共感できた。ドラマなら、傷だらけの天使の頃か。

 巨大な産業と化していく漫画世界、手塚治虫という巨匠の漫画に向き合う真摯な魂が描かせたとても個人的な作品なのかもしれない。ばるぼらと重なって、ブラックジャックを描きだした手塚治虫は、再び少年誌のスターへ返り咲いていく。

懐かしい。

手塚治虫が「ばるぼら」を描いていた時代。
逡巡と停滞に心情が宿るあの頃。

映画は、その懐かしさをしっかり纏っていた。
稲垣吾郎の声は強い説得力で美倉だった。
映画のことを誰かに話そうとすると、二階堂ふみの、ばるぼらそのものの声が聞こえ、ばるぼらと、その時代を思い出し、胸がつかえる。


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2020/12/8

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