橋本英郎のインスタグラム(hideohashimoto) - 2月17日 13時40分
【ガンバ大阪に関わる皆様へ】
少し長くなりますが、是非お付き合い下さい。
プロとしての14年間はもちろんのこと、Jr.ユース・ユースの6年間を合わせると、計20年クラブに携わったことになります。
本当に幸せな日々を過ごすことができました。
プロになりたての頃は、練習生からやったんで、まずは生き残ることだけを考えてプレー。
少しずつチャンスをもらい、それを活かして、試合数も伸びて。
イナの移籍・やっとの加入など自分のポジションが空いたり埋まったりを繰り返す状況に。
そんな中2005年に初めての優勝、Jリーグのタイトルを取る事が出来ました。
この時思ったのは、初めて
『日本一』
ってのになれたんだな!
って感覚でした。
高校生までは、いいところまでは行くけど優勝は出来ませんでした。
プロになってもいいところの大事な試合で負けてなれずで、日本一になる難しさを実感。
それだけに喜びはひとしおでした。
ただ、その喜びの感覚は、ふわふわしたもので、特別日常が変わるわけでもなかったのを覚えています笑
タイトルを獲得してからは、クラブとしてもステージや環境が変化。
タイトルを取る事が当たり前のようなシーズンを毎年過ごしてきました。
ACLでもタイトルが取れ、クラブワールドカップにも出られ、クラブで体験できる一通りの頂点の舞台には立たせてもらえたと思います。
個人としても27歳で日本代表に呼んでもらい、経験できました。
2009年に結果を出したりともう一踏ん張り出来なかったので、ワールドカップには行けませんでしたが、何歳になっても成長していけると信じられるキッカケにもなりました。
最終所属年の2011年は、右膝の前十字靭帯損傷。復帰までは8か月間かかりました。
復帰戦がちょうどクラブ創設20周年記念マッチということもあり、特別なユニフォームを着る事も出来ましたし、
何より交代の際、ピッチ脇で待っている時、ピッチに入る瞬間、あたたかい拍手をいただきました。本当に一生忘れられない出来事です。
自分自身、華があったり注目されるようなプレーヤーではなかったと思っています。
そんな自分にサポーターのみなさんから頂いた拍手(お帰りの拍手と思ってます笑)で、正直ピッチに入りながら泣きそうになってました。
「公式戦やし、泣いてる場合じゃない」と涙を堪えたのを今でも覚えています。
2011年は、ケガの影響もありいいパフォーマンスは出せませんでしたが、この拍手を頂いた事でまだサッカー選手を続けたいと思うようになりました。
実はワンクラブマン(1つのクラブだけで引退する選手)としての幕引きも考えていましたが、このサポーターの力をもらった事で、まだまだプレーヤーとしてやり続けようと決断できました。
その後のサッカー人生は
ヴィッセル神戸→セレッソ大阪→AC長野パルセイロ→東京ヴェルディ→FC今治→おこしやす京都AC
へと様々な出会いやチャンスを得ることが出来ました。
ガンバ大阪は、僕のプロとして始まったクラブでもあり、サッカー選手としてプロになるとはなんたるか?
を教えてくれたクラブです。
クラブにいつか関わり仕事が出来るように日々精進していきます!
本当にありがとうございました!!
#引退報告
橋本英郎
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これから指導者として、またあの『日本一』を取れるよう様々な経験を通じて進んでいくつもりです。
これからもInstagram・Facebook・TwitterなどなどSNSを続けていき、発信していきますので暇な時だけでなく、忙しい時でもチェックしてくださいね!笑
まずは週末から京都サンガF.C.対鹿島アントラーズの開幕戦解説します!!
みなさんのご視聴お待ちしております!!
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2023/2/17