❤?❤❤❤ Sayo ??❤?❤️❤️❤️さんのインスタグラム写真 - (❤?❤❤❤ Sayo ??❤?❤️❤️❤️Instagram)「2月17日にちゅうぴぃが旅立ってもうじき49日を迎えようとしています。ちゅうぴぃを可愛がって下さった皆様、本当にありがとうございました。沢山の方からお花を頂き改めてみんなに愛された子だったと実感しています。まだまだ未公開写真が沢山有るので暫くの間思い出話と共に投稿したいと思います。  《出会い》 2004年、建てた家が雨漏り被害に遭い、その修理と調停で私は先に駐在中の旦那と別居し一人この家で暮らしていました。そんな時、旅行に行く友人のロシアンブルーを預かることになり1週間一緒に暮らしましたが返す頃には猫との生活に首ったけになっていました。猫ロスで落ち込む私の話を聞いて旦那がサプライズでプレゼントしてくれたのが同じ猫種のちゅうぴぃでした。当時はペットオークションなる物が有りそこで見つけたと話していました。一時帰国していた旦那と羽田空港に迎えに行った日がまるで昨日の様です。  《別れ》 旅立つ3日前、胸水腹水が溜まり呼吸不全に陥った為早朝緊急で病院で抜く処置して貰ったのですが旦那が帰って来る金曜夜までがんばれ!と話しかけ水、木と過ごしました。金曜日昼ごろまでは寝返りしたり呼びかけに応じており、自分も病院予約があった為、母に見てもらい出かけることにしました。玄関で靴を履いてると聞いた事無い声で鳴いて呼ばれたので靴を脱ぎちゅうぴぃの側まで行き撫でながら『ちょっと病院行って来るから帰るまで待ってなさい』とヨシヨシしてやりました。その時、見えてないけど私の顔をちゃんと見つめて声にならない声でニャーと言ったので大丈夫だと思いました。電車に乗って5分後母から電話があり下車後かけ直すと『ちゅうぴぃがおかしい、すぐに帰って来て』とのこと。病院を目の前にしキャンセル電話し家に飛んで帰りましたが帰宅した時は旅立った後でした。死に目は母が看取ってくれましたが私は間に合いませんでした。まだ温かいちゅうぴぃを何度も撫でながら今まで頑張った事を褒めてやりました。今思えば最後に私にサヨナラ伝えたかったのでしょうね。にゃあみぃの時もそうですがちゅうぴぃもちゃんとお礼を言って旅立って行ったんです。  《旦那とちゅうぴぃ》 旦那は誰よりもちゅうぴぃを溺愛してたしちゅうぴぃも私より旦那の方が好きで相思相愛と言う言葉がぴったりの二人でした。リビングに居る時はほぼちゅうぴぃは旦那の上に乗っていましたね。ちゅうぴぃが具合が悪くなってからは毎週末名古屋から帰宅し平日看病で疲れ切ってた私の代わりに甲斐甲斐しく世話をしてくれました。コロナ禍で毎週戻って来るのはとても大変だったと思います。好きなゴルフも行かなくなりちゅうぴぃの為に本当に頑張っていました。意識不明になった時は平日でしたが半休を取り名古屋から飛んで帰って来ました。翌朝奇跡的に意識が回復したので朝名古屋に戻りましたが旦那も又体力の限界まで頑張ってくれていたと思います。だから本音を言えば旦那が帰るまでちゅうぴぃにはもう少し頑張って欲しかったのですが、、帰宅しちゅうぴぃの亡骸と対面した時は泣き崩れて立ち上がれ無い程で見てるこちらももらい泣きでした。  《葬儀2月19日》 葬儀はにゃあみぃと同じ世田谷区の感応寺で行い、私の両親と四人でお見送りしました。お友達の皆さんに頂いたお花に囲まれ立派なお経をあげてもらい旅立って行きました。晩年大病を患っていたにもかかわらずお骨が本当に綺麗に残っていたのは驚きでした。係の人に『ちゅうぴぃちゃんは大きな猫だったのですか?足のお骨の長さからするとかなり大きな子だった様に思えるのですが』と尋ねられました。オスなのに小柄で体重も3キロ無かったけど兎に角足が長くてスタイルが良かったと説明しました。用意してあった骨壷に尻尾から順番に重ねて入れたのですが足の骨は長過ぎて横に入らず斜めにして入れました。お骨になって戻って来たちゅうぴぃ、今はダイニングテーブルの上で私達を見守ってくれています。  19年近く一緒に暮らして来たので居なくなった生活にまだ慣れません。それでもじゅのやちゃあみぃは毎日ニャーニャーとリクエスト三昧。ちゅうぴぃちゅうぴぃで2にゃんのケアを殆どしてあげれなかった分これからは2にゃんをうんと可愛がってやります☺️  #ちゅうぴぃ」3月29日 18時25分 - psayopsayo

❤?❤❤❤ Sayo ??❤?❤️❤️❤️のインスタグラム(psayopsayo) - 3月29日 18時25分


2月17日にちゅうぴぃが旅立ってもうじき49日を迎えようとしています。ちゅうぴぃを可愛がって下さった皆様、本当にありがとうございました。沢山の方からお花を頂き改めてみんなに愛された子だったと実感しています。まだまだ未公開写真が沢山有るので暫くの間思い出話と共に投稿したいと思います。

《出会い》
2004年、建てた家が雨漏り被害に遭い、その修理と調停で私は先に駐在中の旦那と別居し一人この家で暮らしていました。そんな時、旅行に行く友人のロシアンブルーを預かることになり1週間一緒に暮らしましたが返す頃には猫との生活に首ったけになっていました。猫ロスで落ち込む私の話を聞いて旦那がサプライズでプレゼントしてくれたのが同じ猫種のちゅうぴぃでした。当時はペットオークションなる物が有りそこで見つけたと話していました。一時帰国していた旦那と羽田空港に迎えに行った日がまるで昨日の様です。

《別れ》
旅立つ3日前、胸水腹水が溜まり呼吸不全に陥った為早朝緊急で病院で抜く処置して貰ったのですが旦那が帰って来る金曜夜までがんばれ!と話しかけ水、木と過ごしました。金曜日昼ごろまでは寝返りしたり呼びかけに応じており、自分も病院予約があった為、母に見てもらい出かけることにしました。玄関で靴を履いてると聞いた事無い声で鳴いて呼ばれたので靴を脱ぎちゅうぴぃの側まで行き撫でながら『ちょっと病院行って来るから帰るまで待ってなさい』とヨシヨシしてやりました。その時、見えてないけど私の顔をちゃんと見つめて声にならない声でニャーと言ったので大丈夫だと思いました。電車に乗って5分後母から電話があり下車後かけ直すと『ちゅうぴぃがおかしい、すぐに帰って来て』とのこと。病院を目の前にしキャンセル電話し家に飛んで帰りましたが帰宅した時は旅立った後でした。死に目は母が看取ってくれましたが私は間に合いませんでした。まだ温かいちゅうぴぃを何度も撫でながら今まで頑張った事を褒めてやりました。今思えば最後に私にサヨナラ伝えたかったのでしょうね。にゃあみぃの時もそうですがちゅうぴぃもちゃんとお礼を言って旅立って行ったんです。

《旦那とちゅうぴぃ》
旦那は誰よりもちゅうぴぃを溺愛してたしちゅうぴぃも私より旦那の方が好きで相思相愛と言う言葉がぴったりの二人でした。リビングに居る時はほぼちゅうぴぃは旦那の上に乗っていましたね。ちゅうぴぃが具合が悪くなってからは毎週末名古屋から帰宅し平日看病で疲れ切ってた私の代わりに甲斐甲斐しく世話をしてくれました。コロナ禍で毎週戻って来るのはとても大変だったと思います。好きなゴルフも行かなくなりちゅうぴぃの為に本当に頑張っていました。意識不明になった時は平日でしたが半休を取り名古屋から飛んで帰って来ました。翌朝奇跡的に意識が回復したので朝名古屋に戻りましたが旦那も又体力の限界まで頑張ってくれていたと思います。だから本音を言えば旦那が帰るまでちゅうぴぃにはもう少し頑張って欲しかったのですが、、帰宅しちゅうぴぃの亡骸と対面した時は泣き崩れて立ち上がれ無い程で見てるこちらももらい泣きでした。

《葬儀2月19日》
葬儀はにゃあみぃと同じ世田谷区の感応寺で行い、私の両親と四人でお見送りしました。お友達の皆さんに頂いたお花に囲まれ立派なお経をあげてもらい旅立って行きました。晩年大病を患っていたにもかかわらずお骨が本当に綺麗に残っていたのは驚きでした。係の人に『ちゅうぴぃちゃんは大きな猫だったのですか?足のお骨の長さからするとかなり大きな子だった様に思えるのですが』と尋ねられました。オスなのに小柄で体重も3キロ無かったけど兎に角足が長くてスタイルが良かったと説明しました。用意してあった骨壷に尻尾から順番に重ねて入れたのですが足の骨は長過ぎて横に入らず斜めにして入れました。お骨になって戻って来たちゅうぴぃ、今はダイニングテーブルの上で私達を見守ってくれています。

19年近く一緒に暮らして来たので居なくなった生活にまだ慣れません。それでもじゅのやちゃあみぃは毎日ニャーニャーとリクエスト三昧。ちゅうぴぃちゅうぴぃで2にゃんのケアを殆どしてあげれなかった分これからは2にゃんをうんと可愛がってやります☺️

#ちゅうぴぃ


[BIHAKUEN]UVシールド(UVShield)

>> 飲む日焼け止め!「UVシールド」を購入する

779

60

2023/3/29

❤?❤❤❤ Sayo ??❤?❤️❤️❤️を見た方におすすめの有名人

動物のおすすめグループ