奥村奈津美のインスタグラム(natsumi19820521) - 8月6日 01時44分


#ヒロシマ1

きょうは、8月6日 広島原爆の日です。

私にとって原爆は、「祖母の人生」そのものです。

2年前にも投稿しましたが、
あれから1万人近くのフォロワーさんと出会ったので、
新しく繋がれた方々にも
祖母の話を読んでもらえたら幸いです。

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祖母は、第二次世界大戦末期、広島市の西側、大野町にある海軍の造船所で働いていました。

8月6日

あの日も、祖母は船の甲板で、作業をしていました。

飛行機が一機見え、「おかしいな」と思っていると、

突然、ドーンと大きな音がして、

広島市内の方から、

白とも黒とも言えない、見たこともないような雲がみるみる立ち上がってきたのです。

その雲に驚き、

急いで船の下へ飛び降りた祖母。

しばらく、広島市内のガスタンクなどが爆発する音がし続けたと話します。

何が起きたのかは分からないけれど、何か大変なことが起きている。

仕事をしている場合ではないと、11:30頃の電車に乗りました。

車内は、異様な雰囲気で西広島駅から乗って来た人に

「広島は一大事だ」と聞き、胸騒ぎがしました。

そして、祖母の家がある玖波駅で降りたとたん、別の車両から降りてきた人に驚きます。

裸足で裸なのです。

次の電車からは、死んでいる人、

火ぶくれして皮膚が垂れ下がり、お化けのようになった人が、

次から次に運ばれてきました。

ただごとではない。

役場に行くと、昼間にトラックが広島へ応援に向かったと聞きました。

この日は、玖波の町からも、広島市内へ義勇隊として、100人近くの住民が建物疎開に行っていました。

祖母の親類も何人も広島市内に住んでいました。

広島へすぐにでも行って探したい。

そんな気持ちを抑えて、家で待つ親類の子供たちの世話に追われました。

日も暮れかかった午後6時。

同級生の男の子が全身焼けただれ、裸で運ばれてきました。

爆心地から500mほどしか離れていない場所で建物疎開していたところ、被爆したというのです。

懸命に看病しましたが、翌朝2時ごろ、息を引き取りました。



8月7日

親類や近隣の人たちと一緒に、亡くなった人を荼毘にふしました。

と、言っても火葬場は一つしかないので、自分たちで焼きました。

掘った穴は90以上。亡骸を入れ、薪を積み、火を放ちました。

#ヒロシマ2 に続く…

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2023/8/6

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