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本田圭佑のプロフィール

名前:本田圭佑(サッカー選手)
生年月日:1986年6月13日
出身地:大阪府

小学2年生の頃、地元のサッカークラブ、摂津FCヘ入団。この頃、から本田圭佑はサッカー漬けの日々を送るようになったのだが、同時期に両親が離婚。本田圭佑とその兄である本田弘幸を育てたのは父親だった。本田圭佑の父親は、息子にいつも「一番になれ!」と言い聞かせては常にサッカーを練習させていた。一緒に住んでいたのは、父親だけでなく、祖父も。その祖父も厳しい人だったため、兄と一緒に家で寝ていると、外を走ってこい、と言われたり、絶対に一流になれないと言われるほど。そんな家庭環境で育った本田圭佑は、次第に家族に認められたい、自分の実力で見返してやりたいと、プロサッカー選手を夢見るようになり、本気で一番を目指すようになったそうだ。そして小学校の卒業文集で、世界一のサッカー選手になりたいという目標を掲げた。その文章は、小学生ながらもしっかりと自分がこれから目指すべき姿をイメージしていたことで、のちに日本代表のエースと呼ばれるようになるころには、この卒業文集の内容が話題になったほど。
本気でプロサッカー選手を目指した本田圭佑は、中学時代、通っている学校のサッカー部には入らずに、地元のビッグクラブ・ガンバ大阪のジュニアユースへ入団。サッカーに励んだのだが、この頃はまだ能力が開花しておらず、ガンバ大阪のユースチームへの昇格内定が出なかったこともあり、石川県のサッカー名門校、星稜高校へ進学。高校時代からは本田圭佑の実力はみるみる注目されるようになり、1年生では高円宮杯全日本ユース選手権で準優勝を果たし、3年になるとキャプテンに抜擢された。キャプテンとして臨んだ第83回全国高等学校サッカー選手権大会では、石川県勢初のベスト4を獲得するなど、存在感を十分にアピールしてみせた。そして2高校卒業時には複数のJリーグからオファーがあるほどの成長を見せ、高校時代に特別指定選手として練習に参加したり、試合出場も経験していた名古屋グランパスエイトとプロ契約を結び、夢の第一歩、プロサッカー選手というチケットをつかんだ。名古屋グランパスエイトに所属後、開幕戦でスタメン起用されるとアシストを決めるなど好調で、プロ入り1年目で初ゴールも果たして、2年目からはレギュラーに定着したのだ。それでも入団当初から海外でのプレーを視野に入れていて、名古屋グランパスエイトとの契約にも、オファーがあれば海外移籍を認めてもらえるように取り決めがあったほど。そして名古屋にいるのは3年という宣言通りに2008年には、オランダのVVVフェンローへ移籍。海外でプレーする日本人サッカー選手として知られるようになっていった。本田圭佑が日本代表としてプレーするようになったのは、2005年。出場するほどにその活躍の場を広げるようになり、サッカー担当記者の投票によって選ばれる2010年度の年間最優秀選手に選ばれ、2012年にはワールドカップ最終予選でハットトリックを達成するなど、日本のサッカー史にも大きな記録を残すようになっていった。

VVVフェンローからロシアのCSKAモスクワ、そしてイタリアのACミランへの移籍を経験し、2017年7月にメキシコリーグのCFパチューカへ移籍後、もう終わった、という評価が増えていた本田圭佑に復活の兆しが見えた。実際、本田圭佑のパチューカの移籍は、現地のメキシコの人たちにとっても手放しで歓迎することではなく、活躍できるのか?という厳しい視線が多かったのだ。しかし、本田圭佑はパチューカデビュー戦でいきなりゴールを叩き出すなど、数々のシーンで存在感を出し、“完全復活”とさまざまなメディアで賞賛されるほどになった。
パチューカといえば、メキシコのクラブのなかでもトップリーグであるリーガMXに位置するほどの名門。“名門”と呼ばれる所以は、設立日にある。パチューカは、イダルゴ州のパチューカ州都を本拠地にしているのだが、実はメキシコ最古のサッカークラブなのだ。パチューカ、という名前は日本ではあまり馴染みのない響きだが、メキシコの中央都市といっても過言ではないほど、栄えた街。そんな街で120年ほどの歴史を持つパチューカは、その歴史は語りつくせないほどの名門クラブだ。歴史があるクラブにも関わらず、北中米カリブ海の強豪24チームが争うチャンピオンズリーグ「CONCACAF」での優勝回数は5回。そして最近の優勝でいうと、2016/17シーズンでその勢力は衰えることを知らないのだ。そんな名門パチューカに本田圭佑が加わり、本田圭佑のサッカーの実績も上がってきているいい状態、ということもあり、多くのサッカーファンがクラブワールドカップでのレアル・マドリードVSパチューカが実現し、パチューカの本田圭佑がレアル・マドリードに挑むのを楽しみにしている。そんなパチューカでの活躍が目覚ましい本田圭佑だが、ロシア・ワールドカップ終了後にパチューカから離れるかもしれないとメキシコの地元紙が報道。というのも、パチューカとの契約はもともと1年と本田圭佑は決めていたため。パチューカに来て日本だけでなく世界からの視線は大きく変わり、本田圭佑本人もパチューカとの相性は認めているものの、契約を延長してパチューカに居続けることはまた別の問題として、移籍を匂わせている。

パチューカ移籍後の好調で注目されている本田圭佑だが、移籍前にも大きな注目を集めていた。それはパチューカとの契約で明らかになった本田圭佑の年俸だ。本田圭佑といえば、日本リーグでは名古屋グランパスエイトに所属していて、そこから海外へ移籍。最初のチームはオランダのトップリーグであるエールディヴィジのVVVフェンロー。VVVフェンローでの年俸は6500万と、名古屋グランパス時代から3倍以上もの年俸を獲得していた。その後、2009-10年シーズンにロシアのトップリーグであるロシア・プレミアリーグのCSKAモスクワに移籍すると、年俸はついに3億へ。移籍を繰り返すたびにどんどん年俸は上がっていき、2013年にイタリアのトップリーグであるセリエAのACミランへ移籍すると、年俸はなんと7億7000万へと大幅アップ。ACミランへの移籍後、本田圭佑の調子はなかなか安定せず、イタリアメディアにボロボロに叩かれ、日本代表としても成績に結びつかず、苦しい評価を受けることが多かった。輝かしい移籍の経歴とともに、文字通り右肩上がりに増えていった年俸だが、メキシコ・パチューカで提示されている年俸は4億5000万と言われている。これは、本田圭佑のACミラン時代に獲得していた最大年俸と比べると、少ない、と感じてしまうかもしれないが、パチューカにとって本田圭佑のこの年俸はチーム史上最高額。そのくらいパチューカにとって本田圭佑への期待は大きかったこともあり、多くのメディアが本田圭佑の年俸をニュースにしたのだった。

本田圭佑は、多くの日本国民が注目するサッカー日本代表の中心選手として活躍していたこともあって、一般への認知度がもちろん高い。また、サッカーの技術だけでなく、本田圭佑の“ビッグマウス”揶揄されるほどの発言や、“ファッションリーダー”とも表現される、個性的なファッションが特徴。ファッションの面で言えば、印象的なのが本田圭佑の髪型で、定番とされる髪型は金髪のソフトモヒカンだ。本田圭佑が日本代表として認知されるようになった頃からはもう、本田圭佑といえば金髪のソフトモヒカンだったため、本田圭佑の他の髪型はあまり見たことがない人がほとんど。もちろん、本田圭佑も黒髪時代があり、金髪以外にも銀髪に染めてみたこともあるようだが、本田圭佑の髪型=金髪のソフトモヒカン、に落ち着いているようだ。
本田圭佑が髪型をソフトモヒカンにしているのは、一大サッカーブームを巻き起こしたデビット・ベッカムの存在が大きいのではとされている。デビット・ベッカムといえば、ソフトモヒカンの先駆者とされていて、世界でも屈指のサッカークラブ、レアル・マドリードのトッププレイヤーという経歴を持つことから多くのサッカー少年たちがこぞってベッカムヘアと呼ばれるソフトモヒカンにしたのだ。そのため、本田圭佑の髪型がソフトモヒカンなのも、少なからずデビット・ベッカムの影響があるようだ。そして本田圭佑が金髪に染めたのは2008年の北京オリンピック後。その当時本田圭佑が所属していたVVVフェンローがオランダの2部リーグに落ちてしまったことや、サッカーでのプレー以外でも存在感を出したいということで、自分に気合を入れるために金髪にしたようだ。こうして本田圭佑の髪型が金髪×ソフトモヒカンと認知されるようになり、髪型を本田圭佑に寄せたりして多くの芸人たちが本田圭佑のモノマネを披露している。本田圭佑の特徴は髪型だけではなく、関西人特有のイントネーションや、会見やインタビューのときに見せる目の動き、特徴的なキーワードを使った話し方などもあるため、じつは多くの人がモノマネしやすく、また、多くの人にそのモノマネがわかりやすいのだ。特に本田圭佑が過去のインタビューで出した「個を出す」や、「リトルホンダ」などという言い回しは、多くの人がモノマネをして、ブームになったほどだ。

サッカー界だけではなく、モノマネされることを通じてお茶の間を楽しませている本田圭佑は、2008年に結婚。妻となった女性は、高校時代に出会っている同級生だ。2人の出会いは運命的で、本田圭佑とのちに妻になる女性と出会ったのは高校3年生の頃。当時、本田圭佑はサッカーの名門校と呼ばれる星稜高校サッカー部のエースで、妻は別の高校のサッカー部でマネージャーを務めていた。そんな2人は、高校同士の練習試合で出会うと、本田圭佑は妻に一目惚れ。あまりの思いが抑えきれなかったのか、本田圭佑はその練習試合でゴールを決めて勝利をすると、妻になったその女性にすぐ告白をしたそう。同じ思いだったのか、告白された妻も、本田圭佑との交際にOKを出し、それからずっと本田圭佑を支え続けてきた女性なのだ。
交際は順調だったものの、高校卒業からは別々の道を歩むことになった2人。本田圭佑は高校時代の活躍が変われ、プロサッカー選手としてプレーする道を進み、彼女は進学。そのため、2人の時間というのはなかなか取れなかったようだが、本田圭佑が海外移籍を機に結婚を果たしたそう。妻になる前は保育園で勤務していたそうだが、結婚後は本田圭佑を支える奥さんになったようだ。本田圭佑の妻は美人と多くの人が言うほどの綺麗さも話題。そんな妻との間には、2012年に第一子となる長男が誕生し、2014年には第二子となる長女が誕生している。子どもたちへの溺愛ぶりは周囲を驚かすほどで、第一子の誕生を公表していなかったにも関わらず、本田圭佑は日本に帰国した際、報道陣が待つ空港に、長男を抱いて現れたのだ。普通、パパラッチなどの報道を嫌って、子どもの顔は絶対に見せないようにする有名人が多いなか、本田圭佑は報道陣に披露するように子どもを抱きかかえていたため、子どもへの愛の大きさがうかがえるシーンとなった。プレーだけでなく、いろいろな面で注目される本田圭佑。不調が続き、日本代表のレギュラーメンバーの座を離れてしまったが、パチューカでの好調もあり、日本代表の中心メンバーとしての活躍を多くの人が楽しみにしている。

主な出演

・CM
TBC「メンズエステティック MEN'S TBC」『FOR BEAUTIFUL GOAL』篇・日本コカ・コーラ株式会社「アクエリアス「僕にはできる。」キャンペーン」『ボディスキャン』篇、『アクエリアス スパークリング「REFRESH」』篇、『ストリートフリーキック』篇、『アンセム』篇、『チェーンリアクション』篇、『Three Kings』篇、『スパークリングレモン 本田圭佑』篇、『W Honda』篇・FIFA ワールドカップ 公式スポーツ飲料「アクエリアス」・ユニクロ「フリース」『本田圭佑』篇・現代自動車・ アサヒフードアンドヘルスケア「ミンティア」『俺の登場』編、『俺のキャンペーン』編・NTTドコモ「docomo LTE Xi」・カプコン「モンスターハンター4」・ KONAMI「ワールドサッカーコレクションS /「WINNING ELEVEN」『Get GOAL! KEISUKE HONDA × WINNING ELEVEN 2015』・日本マクドナルド「Quarter Pounder ”BITE!”」『生きざま・BLT篇』、『生きざま・ハバネロトマト篇』・Gaga Milano「KEISUKE HONDA Photo shooting」・P&G「ブラウン電機シェーバー」『Hold on To your Dream(夢を抱き続ける)』キャンペーン・メルセデス・ベンツ・Cクラス『メルセデスの本気。』Cクラスステーションワゴン篇・オリンパス『ぼくの写真は、ぼくの今だ』篇・AC Milan vs. Super Car by TOYO TIRES TOYO TIRE & RUBBER CO., LTD. 東洋ゴム工業・楽天モバイル・トヨタ自動車「オーリス」・インベスターズクラウド「TATERU」・花王「アタック」…

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