朝井麗華のインスタグラム(reikaasai) - 1月11日 03時27分
一月十日、夫の命日。
17年前の今日、夕方6時過ぎ、
彼の鼓動は静かに止まった。
年明けから昏睡状態に入り、私はこの十日間、毎日ずっと彼の胸に耳を当てて心臓の音を聴いていた。
当たり前に打っていた心音が徐々にか細く小さくなっていき、止まる瞬間までずっと。「無」になった時、とても奇妙に感じた。
私たちは普段、心臓に無意識。
でも、
いま、
「心臓を〝意識〟して?」
すると途端に鼓動を感じることができる。無意識から意識へ動かすことは簡単にできる。
動いていることが当たり前すぎて、いつも無意識に置かれている心臓。
しかし、絶え間なく、しかも、凄まじい熱量を生み出し、一生爆発し続けている心臓は私たちの生きるエネルギーの源。〝生きる〟は心臓から放たれる。
傷付いたとき、
悩んだとき、
辛いとき、
「胸を痛める」
「心を病む」
「胸が詰まる」
「心苦しい」
嬉しいとき、
楽しいとき、
幸せなとき、
「心が躍る」
「胸が弾む」
「心をゆすぶる」
「胸がいっぱい」
「心」や「胸」で私たちは感情を表す。
「心」も「胸」も要するに、心臓。
ならば心臓の状態が我々の感情となっているのでは?
人は
心臓がつらいと病み、
心臓が嬉しいと元気になる。
私たちはこうしていつも感情を言葉に表しているのに、なぜか心臓にはさほど意識をかけない。緊張したり、激しく運動したり、胸が高鳴るとき以外、無意識の領域に葬っているのはなぜなんだろう。
施術の際、
心臓の年輪に問いかけると必ずや、ほとんどの人がどこかの年に傷を持つ。
軽い傷はほっとけば治るが、
深く刻まれた傷は手をかけないとちゃんとは消えない。
「胸に手を当てて考えて」
とは本当にはこのこと。
心臓に刻んだ古傷が今も疼いているのかもしれないと、皆、自分の心に意識を馳せてみてほしい。
自分の心音を常に聴いてあげる。
これが自分の内なる声を聴くこと、
自分とのほんとうの対話。
ーーーーーー
命日は彼の心臓に一生懸命に耳を澄ましていた自分をいつも思い出します。
今日で17回目。
夫は生きていたら52歳。それでもまだまだ若いな。
35歳で亡くなり、当時26歳だった私はとうに彼の年齢を越えた。
牛肉好きだった彼の遺言は
「俺の命日には肉を喰ってくれ!」
というわけで
毎年この日は通称
『肉を喰らう日』
彼の胸に思いを馳せながら、
今回も肉を喰らいました。
息子と一緒に。
3歳。色々理解できる歳となり、今日は人が今世、肉体を持っての「生きる」と「死ぬ」を説明しました。
しかし魂は永遠で自由だということ、すぐそこにいること、いつでも感じられるということも。
夫には心で、
(私も一児の母となったよ。)
そして故人は頼めば様々なサインをくれるもの。
今、そこにいるのかいないのか?
そうして、羽が舞い降りた🪶
ダウンの羽毛が飛び出ただけ、
ほこりが舞って来ただけ、
そうやって見落とす道もあれば、
故人からのメッセージだと受け取る道もある。
ありがとう
受け取ったよ!
今年も仰せの通り、
肉を喰らいました🥩🥩🥩🥩🥩
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2023/1/11