Boojilのインスタグラム(boojil) - 10月19日 13時07分


久しぶりに言葉を紡ぎたくなったので書く。今年に入って、友人がふたり、愛する祖父が亡くなった。理由は様々でとにかくもうこの世界でどこを探しても彼らに触れることができない。

祖父に関しては、亡くなる直前、間近に死が迫っていることを肌で感じ取り、会話もできなくなった祖父に、どんな言葉をかけようか迷うことなく自然と出てきた言葉は"大好きだよ、おじいちゃん" "ありがとうね" 愛する気持ちと感謝だった。

亡くなった友人たちはまだ年齢も若く、突然逝ってしまった。わたしは彼らのことが好きだった。それぞれに優しさを持ち、佇まいもかっこよくて、生きている間に彼らが残した作品は今も誰かが触れることができる。

ただ、あなたに触れられない。命が消えていったあと、心の中で一緒に過ごした時間を何度も思い出す。存在しないようで存在している。

少し前に読んだ本に"なぜ大切な人を失うと悲しみに暮れるのか"という問いに、"その人を前にした時にしか出てこない自分に二度と会うことができないから"という言葉があった。

相手によって自分のキャラクターは変化する。役割がいろいろあるんだろう。わたしはふたりの男の子の母で、ひとりの女性ではあるけれど、祖父を前にしたらずっと甘ったれの少女のままだ。

祖父にとってはわたしは孫で、彼にとっては近所の陽気な友達で、彼女にとってはそこまで交流はないんだけど互いが気になる存在だったように思う。彼女の場合は、いつか約束した"育児の話を聞かせてほしい。"その約束は果たされぬままになった。言葉を交わすことでその人の人生の欠片が自分の身体を作ることもある。その先の人生を輝かせることもある。わたしたちはそうやって誰かと混じり合いながら本来生きる動物だ。

文字で彼女が亡くなったことを知る。ついこの前メッセージで連絡をとったばかりだった。生きるか死ぬかの瀬戸際だったのかもしれない、それでも誰かに心配をさせまいと、"がんばるね"と、言葉を残していた。なんの疑いもなくまた会えると思っていた。今日は彼女の残した音を聴こうと思う。

昨晩から悪寒がし、わたしは久しぶりに風邪を引いた。今日は仕事が手につかない、久しぶりに映画でも見ながらゴロゴロするしかない。そしてまた夜がきて、朝がくる。

わたしたちは日々命を削りながら生きている。会いたい人には会っておく。話したいことがあるならメッセージじゃなくて電話して。いつ死んでも、もっとあぁしておけば。とか、そういう後悔に似た欲が必ずある。

もう会えない存在になるのは誰かじゃなくて、わたしかもしれない。命のリミットに約束など誰もされていないのだから、描きたいもの、旅をしたい場所、話したいこと、抱きしめたい人、食べたいもの

いろんな可能性が誰にでもあって、選択するしないはいつもその人が握っている。いつ死んでも後悔しない生き方をしたい。

みんなあの世で元気にやっていたらいいな。と、願う。


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2023/10/19

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